仮想通貨投資を投機以上のものにするために

 
 
前回「Bitcoinがバブルでない理由」というブログを書いてから半年弱も経ってしまいました。
 
前回のエントリー以降、ビットコイン価格は乱高下を続け現時点(2018年3月5日)では120万円台前半を推移しています。(9月ごろには40万円程度だったと記憶していますが、概ねそんな感じですね。)
 
その間に、2017年末の仮想通貨相場のバブル的急騰や、コインチェックのNEM流出事件など様々なイベントがありましたが、僕自身リサーチを続けていく中で仮想通貨に関して少しずつ整理がついてきたのでここで共有しようと思います。
 
 
前回のエントリーで僕は「ビットコイン決済手段として優れている」という主旨の主張をしていました。
現状のビットコインは取引の承認スピードが遅く決済としては到底使い物にならないということがわかっているので、少し見当違いなことを書いてしまっていましたね。
 
今回は、特定の銘柄を推奨するのではなく、仮想通貨市場を考える上でのフレームワークを提示したいと思います。
具体的には価値の保存手段としての仮想通貨決済手段としての仮想通貨新たな経済システムとしての仮想通貨という三つの側面から仮想痛市場の動向を考察していきます。
 
 
  1. 価値の保存機能としての仮想通貨  
 
前回のエントリーではビットコインを推奨する内容を書きましたが、正直ビットコインにはこれ以上にワクワクしていません。上記の通り、取引の承認スピードの遅さ(10分に1回)やスケーラビリティの問題(取引量が増えた時に処理能力が追いつかない現象)から、決済としてビットコインが普及するイメージはできません。
しかし、ビットコインには先行優位性があり、20兆円を超える市場規模は無視できません。
よく考えるとすごいことで、担保となる物理的な資産が皆無であるビットコインに対して20兆円以上の資金が集まっているのです。
実際に価値があるかどうかは別として、それだけ価値があると認められているということになります。
 
ところで、古典的には通貨には、①「交換の手段としての機能」、②「価値の尺度としての機能」、③「価値の保存としての機能」の三つの機能があるそうです。
それぞれの説明は省略しますが、ビットコインは③の価値の保存機能を担うようになるのではと思っています。
 
多くに人から価値として認められていて、且つブロックチェーンの技術によって改ざん不可能性とプライバシー(匿名性)が確保された資産としてビットコインは、価値の保存機能を果たす通貨として適していると思います。
つまり、自分の持っている価値が価値として認められていて流動性がある、またその価値が盗まれない(改ざんされない)、自分の財産に関する情報を暗号化してプラベートに管理することができるという特性を持つビットコインは価値の保存機能を十分果たしうると思うのです。
 
 
  1. 決済手段としての仮想通貨
 
決済の手段として仮想通貨が、既存のクレジット決済などのシステムをリプレイスするには多くのハードルが存在すると思っています。その主な理由は仮想通貨の承認スピードの遅さです。
承認スピードが早いとされるリップルネムでさえ既存のシステムと比べると劣っているのが現状です。一秒間に処理できる取引数を比べると、ビットコインは14件程度、リップルは1500件程度、ネムは4000件程度、VISAカードは4000-6000件程度と言われています。
もちろん、仮想通貨は一部のものを除いて仲介業者が存在しないので、手数料がかからないという利点はあります。しかし、処理スピードは決済における利便性に大きな影響を与えるのではと思うのです。
つまり、日常的な決済手段として仮想通貨が成立し得るのはさらに承認スピードを向上させ、且つ流動性を高める(市場規模を拡大させる)必要があるので短期的には実現は難しいかと。
 
一方で、国際的な送金システムにおいてのブロックチェーンの技術への需要は短期的にも高まるのではないでしょうか。現状の決済システムでは海外に送金するためには複数の金融機関を通さなくてはいけず時間も手数料もかかります。P2Pの決済システムであるブロックチェーンを使えば、個人間が直接決済(国際送金)できるので、手数料や時間を節約するとともに、為替リスクなども考慮する必要がなくなるのです。
 
 
  1. 新たなビジネスモデルを構築するDApps
 
僕が最も期待を寄せているのがイーサリアムなどに代表される非中央集権的・分散型アプリケーション(Decentralized Application, 以下DApps)と呼ばれる仮想通貨です。イーサリアムの他にはリスク(Lisk)やWavesなどのプロジェクトがDAppsに分類されます。
DAppsはブロックチェーン技術を活用した分散型アプリケーションです。DAppsの特徴は、中央主権的な管理者がいないということです。
例えば、AirbnbUberなどのアプリはAirbnbUberといった中央集権的な管理者(企業)が存在していてユーザー同士のマッチングやシステム上の監視などの業務を担っています。
一方、DAppsでは管理者は存在せず、ユーザー同士が資産の貸借・売買などの取引を直接行うことが可能です。DAppsは中央集権的な管理者・企業が独占してきた利益をにユーザーに還元することができます。
現状では、Airbnbなどの企業はユーザーから多大な手数料を搾取(言葉は悪いですが)して、利益を独占している状態です。そのパワーを個人に返そうという動きです。
 
もう一つの特徴は、スマートコントラクトという技術を組み入れているという点です。スマートコントラクトは、特定の取引が特定の条件の下で自動的に履行されるプログラムを指します。例えば、Uberの場合、ドライバーがユーザーを目的地に安全に送り届けたという条件を満たした場合のみ、自動的に決済が行われる、というイメージです。
DAppsではこの条件が中央集権的な管理者の介入なしに各個人によって好きに決められるのでユーザーは柔軟な形でサービスを提供し対価を受け取ることができます。
このスマートコントラクトの技術はアプリ開発との相性がよくDAppsの開発に応用されています。
 
 
 
今回は、1. 価値の保存機能としての仮想通貨、2. 決済の手段としての仮想通貨、3. 新たなビジネスモデルの構築する手段としての仮想通貨という具合に、仮想通貨を分類・整理してみました。
このように、仮想通貨・ブロックチェーンが実現する未来をシナリオ別に検討してそれぞれのシナリオで有望なプロジェクトに資金を貼って長期保有していくことが大事なのではないでしょうか。
 
「仮想通貨は投機だ」などと頭ごなしに否定するのではなく、ブロックチェーンという技術を研究してその技術が実現する未来に長期的に投資していくことが、我々個人投資家に求められる姿勢ではないでしょうか。
 
 
 
 

ビットコインがバブルではない三つの理由

2017年に入って価格が4倍に上昇したビットコイン。そして40倍に上昇したイーサリアム。仮想通貨投資で億万長者になった「億りびと」たちの出現
 
去年投資していれば...
 
そう思った読者の方々も多かったのではないでしょうか。
特に2017年4月頃以降の値上がりは急速で、仮想通貨についてメディアで目にする機会が増えてきました。
価格の値上がり方はバブルを彷彿させ、「仮想通貨バブル」は崩壊するのではないかという懸念もあります。確かに、過去半年で約40倍に跳ね上がる金融商品には少し恐怖を覚えるものです。
 
筆者は2017年になって少額ながらビットコインとイーサリアムを資産として購入し、その経過を追ったり、仮想通貨市場の動向について考察したりしてきました。
その中で、やはりビットコインはバブルではない、と感じてきました。今回はその理由を⑴通貨・決済手段としてのビットコイン⑵取引所閉鎖やICO問題についての誤解⑶金融資産としてのビットコイン、という三つの観点から議論してみたいと思います。
 
 
1) 通貨・決済手段としてのビットコイン
 
まず、2017年に入って値上がりしてきた理由は決して実態のない妄想からではなく、通貨・決済手段としての仮想通貨の役割が認識されてきたからだと思います。
よく言われるのが、中央集権的な管理者のいない、P2Pの分散型ネットワークによるデータの改ざん困難性によって安全性が担保されるという議論です。
しかし、もっと顕著でわかりやすいのがその決済手段としての利便性です。実際に仮想通貨を購入してみるとわかると思うのですが、取引所間の送金もQRコードのみで完了するなど、決済・送金の手間が相当省ける。そして、手数料もほとんどかからない。この特性はビジネスの利用ケースにおける可能性を感じさせ、信頼性も増しているのだと思います。
実際に信頼できるかどうかということも大事ですが、それ以上に信頼できると「感じるか」が重要です。技術的な話に詳しくない筆者が仮想通貨を購入した理由はこの先ビジネスで利用されるシーンが増えると「感じた」からなのです。
 
そんなに、感覚的な話でいいのか?
そんな声が聞こえてきそうですが、いいのです。なぜなら、通貨という決済手段自体が感覚的なものだからです。
 
もともとは、国が発行する貨幣(手形)に対して金貨を兌換してくれるという信頼のもとので貨幣は成り立っていた。兌換紙幣がなくなった今でも通貨の価値は交換価値によって担保される。つまり、みんなが欲していて信頼しているから価値が担保される。
その延長線上に仮想通貨の存続根拠があると思うのです。
 
 
2) 取引所閉鎖やICO問題についての誤解
 
しかし、仮想通貨には兌換を保証してくれる中央管理者などいないではないか?資産の保全を保証してくれない金融商品など不安定な妄想にすぎず、いつかバブルは崩壊する。
 
上記のような反応が自然なものだと思います。
実際にマウントゴックス事件(2014年2月、取引所に存在していた75万ビットコインもの顧客の資産と自社保有分の10万ビットコインの計85万ビットコインが消失した)では、取引所が破産し、ビットコインを購入した人の資産は担保されませんでした。
 
しかし、誤解してはならないのが、取引所閉鎖の事件は、ビットコインではなく取引所の信頼性の問題であるということです。つまり、ビットコイン決済手段としての利便性や安全性を疑うのではなく、自らが経営する取引所から資金を横領した経営者を咎めるべきなです。取引所は信頼できるものを選びたいところです。
とは言っても取引所を完全に信頼できない人も多いので、そのような人のためにウォレットという仮想通貨を取引所から隔離して補完する商品があります。ウォレットにはデスクトップに保存するものや、オンライン上のウォレット、ハードウェアのウォレットなどの種類があるので、調べてみるといいと思います。
 
また、最近話題になっているのがICO(Initial Coin Offering)。個人や企業が自らのトークン(株のようなものだと理解しています)を発行して自らのプロジェクトを売り込み、仮想通貨で資金調達を行う仕組みで、資金調達の民主化に向けた大きな動きだと言われています。
 
3時間で1.5億ドルを調達した、「ザ・バンコールプロトコル」やなんと30秒で3500万ドルを調達したインターネットブラウザのプロジェクト「Brave」など短期間で大型の資金調達に成功した事例がセンセーショナルに語られています。
 
一方で、全体のICOのうち56%が、約束したはずの製品やサービスが存在しない案件というデータ(日本経済新聞)もあります。
誤解を恐れずに言えば、新しいプロジェクトや商品の発表を期待して出資された資金の過半数が無駄になっているのです。
 
こういった危険性からICOに関する規制が厳しくなりつつあります。
しかし、これもまたICOのシステムが不整備であることが問題であると思うのです。ICOではホワイトペーパーという事業計画書のようなものをオンライン上で発行すれば誰もが資金調達をできてしまう仕組みですが、このシステムには問題があります。すなわち、商品が実在していなくて、自分(あるいは自社)のスキルも不足しているのに資金調達が先行して行われるのです。いくら民主化とはいえ、この仕組みだけ見れば逆に上の56%という数字が小さく見えてきます。
 
つまり、ICOの問題は仮想通貨の問題ではなくICOの仕組みの問題であるのです。さらに、上記のような大型な資金調達を短時間て達成している事例をみると出資方法として一般投資家のニーズが顕在している証拠になると思います。
 
 
3) 金融資産としてのビットコイン
 
ブロックチェーンの技術を使った仮想通貨は、上記の通り中央管理者がいないので、中央管理者の危機などに振り回されることはありません。日本ではあまり実感はありませんが、中国やその他新興国の中には、現地の通貨は必ずしも安全資産として機能しません。
そこで、政治的不安定性が増すと為替リスクや政治リスクのないビットコインに資金が流入するという現象が起こっています。
また、国の経済が低調でデフレが予想される局面では、国の経済との相関性の低い仮想通貨が買われる傾向にあると思うのです。
つまり、仮想通貨はその他の有価証券とは相関性の低い新しいアセットクラスとして投資対象になりうると思うのです。確かに、価格が乱高下することから現状では投機的な側面があると思いますが、将来的には一般的な資産運用におけるポートフォリオに組み込まれていく傾向にあると思っています。
 
まだまだ勉強途中なので最終的な結論に至ったわけではないですが、読者の皆様のご意見を頂戴して、今後の勉強に役立てたいと思います。
ご意見やアドバイス等をよろしくお願いします!
 
P.S. このブログを書いている途中にJPモルガンのダイモンCEOがビットコインを詐欺だと批判し、社内のBitcoinの取引を禁止したとのニュースが入ってきました(笑)。
仮想通貨を「機能的側面」と「投機目的の側面」の二つに分けて議論した場合、ダイモン氏の主張は後者に関するものだと考えられます。実際JPモルガンブロックチェーンの技術は認めていて導入を進めているそうです。今回のブログでは、上記二つの側面を混合して議論してしまいましたが、二つを分けて議論したらもっと議論が整理されるだろうと書き終えて反省しております。
 
 

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「100年ライフ」時代の教育を実現するための教育国債について

安倍首相が教育の無償化の実現を目指していて、その財源として教育国債の発行が検討されています。教育国債はその名の通り、用途を教育に紐付ける国債を指します。

 

教育国債の積極論者は教育の国力や経済への好影響を、懐疑論者は国債を新たに発行することに対する不安を強調しているようです。しかし、私の調べられる範囲では抽象的な意見が多く、具体的なイメージはできませんでした。

そこで、それぞれの主張を自分なりに解釈し、具体的に検討してみました。読者の皆様の反響を仰ぎたいと思います。(話は逸れますが、ブログに対する反響は非常に勉強になり、学びが多い!これからも様々なピックスやコメントをお待ちしております。)

 

積極論に関して:教育の無償化を実現するための教育国債について

積極論者の主張は教育の経済や国力への好影響を重要視しています。

確かに、教育の無償化は経済格差の是正策になりうるし、国民全体の経済生産性の向上につながるでしょう。教育こそ未来の時代を創り出す源泉であり、「教育」という響き自体に誰しも少し希望を感じる部分があるのではないでしょうか。それゆえに、国債を発行するということに抵抗を感じる人でも、「教育」国債という名前を受けて少し肯定的にならざるを得ないのでは。

しかし、もっと具体的な教育国債の使い道について議論をすべきではないでしょうか?

何にお金を費やすのかを分かっていない段階では借金をすることを肯定も否定もできないと思うのです。

教育の無償化であれば、どこまでを無償化するのか。小中高大と教育過程があるが、どの過程まで無償化するのか。

私は大学教育を超えて生涯教育(就職後新しいスキルを身につけるために一旦労働を離れて学ぶサバティカルと呼ばれるもの)も財政的に支援すべきだと思っています。

『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』でグラットン氏とスコット氏は、2007年生まれの子供107歳まで生きる確率は50%であり、今の時代の若者にとって100年生きることは当たり前になりつつあると提起しています。

そこで、100年ライフにおいてはかつての「教育→仕事→引退」の3つのライフステージのあり方が変容すると言います。

つまり、65歳で引退していては経済的にも文化的にも今までの生活水準を保つ・育むことができない。「仕事」のステージが長期化することは避けられない。

一方で、AIや他のIT技術の急激な発展によってわれわれを取り巻く労働環境が激変していくことが予想されます。そこで、私たち若者は就職直後に身につけた知識やスキルを時代に合わせて柔軟に変身させていかなくてはならなくなる。

もしかしたら、自分が身につけたスキルが将来は陳腐化してしまうかもしれない。

そこで、政府が支援する教育は就職前に社会に出る準備をする場に限らず、環境の変化に応じて新しいスキルを学び直す場も提供すべきではないでしょうか。

 

「教育」というと、つい子供ばかりに目がいってしまい長期的視点になりがちですが、激変していく社会においては社会人も学び直す機会が必要であり、そのニーズはわりと緊急だと思うのです。

 

話がだいぶ膨らんでしまいましたが、

教育国債を議論する際に「教育」をという概念を日本ではどう定義し、どういう未来を創っていくのかを明確にしそれを実現するための手段として国債を発行することが望ましいのかどうかを検討すべきかと思います。

 

消極論に関して:国債を発行することへの拒絶

消極論者の多くは国債を発行することで国の借金が増えることや、将来にツケを回すことに抵抗を覚えているようです。

しかし、政府の借金が増えることは必ずしも国内からお金が不足してしまうことを意味しないかと。以前のブログ(日本がベーシックインカムを導入すべき三つの理由 - japo_kenny’s blog)でも書かせていただきましたが、国が使ったお金は経済の誰かの手に渡りその人が経済活動を行ったり、消費をしたりすることを通じて税金という形で政府に戻ってきたり、経済でお金が流通したりするわけです。

また、将来にツケを回さないようにする方法はいくつかあるようです。例えば、永久国債というものがあるようで、これは政府という機構が存在する限り利子は払われ続ける一方で、永久に償還されない国債です。英国で第一次世界大戦の戦時国債として発行されたことがあるそうです。

基本的に国債というのは、償還を迎える時期に増税という形でその世代の人々に負担を強いるので、償還自体が存在しない永久国債は「ツケ」が存在しないのです。(あるいは、ツケを永遠に回し続けるとも言えるか。)

上記のように、国債を発行することは実際には可能だし、将来時代にツケを回さない仕組みを作ることも可能でしょう。

国債を発行すること自体に関する議論は、一点目の国債の用途と比べたら副次的なものではないでしょうか。

教育に関する先駆的なビジョンがあり、それに合わせた適切で具体的なお金の使い道があるのであれば、国債を発行してでも資金を調達する必要があると思うのです。

つまり、教育国債の是非は政府による来るべき時代に関する教育のビジョンの明確性に依存するのではないかというのが筆者の意見です。

コメント、お待ちしております!

 

 

 

 

 

社会保障と雇用を繋げるアクティベーションという考え方

前回のブログ(http://japo-kenny.hatenablog.com/entry/2017/02/27/101440)ではNewspicksをはじめとしたSNSを通じてたくさんの反響をいただきました。ありがとうございました。

 

ベーシックインカムの実現性について

その中で、ベーシックインカム(BI)の実現性に関して疑問のご指摘をいただきました。特に、所得が保障されたところで本当に人は働くのかという疑問はごもっともだと思っています。

さらに、働かなくなるのであればそもそも所得税での財源確保は難しくなり、持続可能ではないとも考えられます。(先日ビルゲイツがロボット課税を提案していたように、所得税を代替するような財源確保は考えられますが、今回はいったん置いておきます。)

確かに、唐突にBIを導入すると混乱が起こってしまうでしょう。

 

条件付BI、アクティベーションという考え方

しかし、BIが理念とするもの、すなわちすべての国民に最低限の生活水準と自己実現を可能にする社会保障の制度作りを目指しつつ、段階的にBI的政策を導入していくべきだと私は考えます。

最初は、条件を細かく設定したり、給付額も限定的水準にとどめつつ、ゆっくり社会に浸透させていくのはどうでしょうか。

つまり、文字通りのBIだけではなく、より広義のBI、つまり条件付の給付等も考慮に入れて議論をしていくべきだと思うのです。最低限の生活水準と自己実現の保障を行うということに関しては社会保障の共通目標なのではないでしょうか。

 

その一例として、宮本太郎氏の『社会保障 排除しない社会へ』で北欧・スウェーデンやヨーロッパで適用されているアクティベーションという考え方があったので、紹介したいと思います。

一言で言うと、社会保障を人々の雇用へとつなげる、労働・社会参加を促すという意味でアクティベーションと呼んでいます。

政策として以下の様なものが存在するそうです。

  • 柔軟な労働市場を通じて労働の流動化を可能にする代わりに、長期(最大4年間)にわたる失業手当(従前所得の9割)を給付する。
  • デンマークでは、コンブクスという生涯教育の機会が充実している。就労者が学び直す機会として教育休暇制度などがある。
  • ハイロードアプローチ:スウェーデンでは人々が知識不足を乗り越えて低付加価値分野から高付加価値分野へ移っていける様に、労働市場の外で知識・技能を身につける機会と資金を提供する。
  • スウェーデンのフリーイヤー制度:3ヶ月以上1年以下の仕事の離脱期間に失業手当の85%を給付する。

上記のもの以外にもたくさんあるかと思いますが、すべてに共通していることは、働くということを促しているという点です。

前回のブログでたくさんの方々からフィードバックをいただいたように、所得が保障されて人々がよりクリエイティブな領域で遊ぶことを働くことに変えていくという視点は理想郷じみた考え方であり、現実はそんなに甘くはないのかもしれません。

そこで、より現実的に最低限の所得と自己実現を可能にするために社会保障と雇用をつなげるアクティベーションを提案しています。

言い換えると、労働市場をいったん離れて自己実現や働く条件の改善を図るために自らを磨く時間を設けるための現金保障や公共サービスを充実させるということです。

 

日本版BIの追求

私が実現したいのは、仕事に対するやりがいや生きがいを見出すことができる社会です。その手段としてBIという考え方がありますが、それは必ずしも無条件の給付を意味しないのかもしれません。日本にあった形の日本版BIの設計を今後も議論していきたいと思っています。

今回も厳しいご指導をお待ちしております!

 

 

 

 

 

 

日本がベーシックインカムを導入すべき三つの理由

今回は、最近僕が関心を寄せているベーシックインカムに関してです。

 

ベーシックインカム(BI)とは、国民に対して一律に一定額のお金を給付する社会保障制度を指します。一言で言うと、お金をバラまくということです。

 

フィンランドで2017年1月に、導入実験が始まっていて、先日インド政府でも検討が進んでいるという記事を読みました。

シリコンバレー等のAIによる技術的失業を肯定する人々の中では、新しい経済における社会保障制度として指示が集めています。日本でもホリエモンこと堀江貴文氏が支持していることなどから、耳にする機会が増えているかと思います。

テック業界では、AIによって仕事がなくなり、その代わりに人々の所得を保障するための制度としてBIを提唱する人が多いかもしれません。

僕が指示する理由は以下の三つ。

  1. BIによって仕事を再定義し、「遊び」や「やりがい」の要素を取り入れることができる。
  2. 実現可能で、わかりやすい。
  3. 日本の労働人口減少問題に対応する社会制度である。

より詳しく説明してみます。

 

BIによって仕事を再定義し、「遊び」や「やりがい」の要素を取り入れることができる。

社会によって所得が保障されていたら、人々はどうするか?仕事をどう捉えるようになるか?

もっとやりがいのある仕事に移行していくのではないか?

お金という制約がなくなったら、自分がより情熱が持てる仕事をするのではないでしょうか。お金の理由で諦める必要がなくなるのですから。

また、短期的にはお金を稼げなくても、やりがいを持って継続的に取り組んでいれば大きなイノベーションが生まれることがあるかもしれない。そういう可能性も秘めていると思うのです。

 

お金を保証されているのであれば、働かなくなるのでは?人々の生活は堕落するのでは?

働かなくなるかもしれません。でも、お金が保障されている場合、人々は「遊ぶ」ことに専念するかもしれない。新しい遊びが生まれ、そこにビジネスチャンスが生まれるかもしれない。例えば、元サッカー日本代表中田英寿氏は引退後日本各国を旅し、日本酒を勉強し、イベントを開いたりしています。そんなイメージですかね。

確かに、人々が働かなくなる可能性は否定できません。

僕は人間は本質的に仕事を求めるものであり、長期的には堕落していくことはないと思っていますが。

フィンランドの社会実験の結果がなんらかのヒントを導いてくれるかと思います。(僕は日本でも地方自治体で実験するなどしてみてもいいのにと思っています。)

 

実現可能で、わかりやすい。

こんな幼稚な政策、実現できないだろう。財源は?社会主義?そんな声が聞こえてきそうです。

しかし、よく考えてみれば財源は増税赤字国債を実現してでも実施すべきであれば実施すべきではないか。

また、国が使ったお金は究極的には誰かの手に渡り、世の中に流通する。世の中を流通したお金は税金など様々な形で政府に戻ってくることもある。消えるわけではない。ここで、財政をあたかも個人の財布のように考えて支出が増えればお金が消えて無くなってしまうと考えると誤解が生じるかと。

また、井上智洋氏は『人工知能の経済の未来』で面白い試算をしています。

  • 一人月7万円の給付が極度のインフレなしに実現するとしたら、全国民の給付の総額は100兆円になる。
  • BIは他の基礎年金・児童手当・雇用保険生活保護などを代替するので、およそ36兆円を100兆円から差し引き、新たに64兆円の財源が必要である計算ができる。
  • ここで、所得税で64兆円を調達するとする。日本人の総所得は250兆円。よって、25%の率の所得税を新たにかければ捻出できる。
  • BIの受取額を所得税の増分から差し引いた考えると、一人暮らしの年収ちょうど336万円の人は税額が受取額と同じになり、損も得もなくなる。
  • また、多くの子育て世帯はBIにとって恩恵を受けることができる。たくさん産み育てていくことが得になってくる。

上記の例だと、年収336万円までの人々は受取額が税負担を上回り、得をするという構図になる。つまり、財源の確保の仕方をうまく設計することで国民への負担をコントロールすることができる。

 

また、何と言っても、国民にとってわかりやすい!お金をバラまくだけだから。日本人の政治家への信頼度は国際的に比較して相当低いそうです。つまり、透明度の高い政策が求められているのです。

 

日本の労働人口減少問題に対応する社会制度である。

人口政策について。BIは国民一人当たり、一定額の給付を行うので一世帯あたり受け取り給付額は家族が多いほどもらえる。

所得税増税によってBIの財源を確保する場合、子供を産むインセンティブになる、という理論です。

まあ、所得税によって賄うことが前提になるのですが。ここはすこし、飛躍しているかもしれませんね。

 

しかし、日本の労働人口が不足していることは確かなことで、AIによって作業の効率化を図ることは必須かと。そこで、漏れてしまった国民に対して所得を保障する制度としてBIが検討されるべきかと思います。また、高齢化先進国である日本はAI等を積極的に導入する環境が整っていると思うので、BI等の社会的環境を整えて世界に先駆けるべきかと。

 

以上3点でした。

BIの議論、誰かとしたい笑

そして、もっとマクロ経済学的視点で議論できるようになりたい。誰か教えて下さい。

 

 

 

 

 

何かを追及するということ

こんばんは。

知識を身につけるためにはアウトプットが必要。また、自分が将来やりたいことを考えても発信力は必要不可欠だ。そう思ってブログを始めました。記念すべき第一弾。

 

僕が将来何をしようと考えているか。

一言で言うと、起業家、投資家、政治家すべてやりたいと思っています。すべて、いっぺんにではなく、人生のうちにすべてを経験したいということです。

 

あるベンチャーキャピタリストの方にいただいたアドバイス心に残っているものがあります。

 

「君はそんなにいろんなことをしていて、結局は何も追及できないんじゃないか。一流っていうのは一つのことに死ぬほど時間をかけるものだよ。」

 

確かに。そして自分は、4歳からやっていたサッカーに努力を集中させよう。そう思ったのが大学二年生のときでした。

結局、サッカー選手にはなれませんでした。

 

遅かった。勉強はいつでもできるのだから、サッカーだけに集中しても良かった。何回後悔したことか...

 

そこで、サッカー選手以外の道を考えざるを得なくなりました。

でも、サッカー以外に自分が100%情熱を捧げることができることがなどあるだろうか。非常に苦しい時間が訪れました。

なんとしてでも、サッカー選手になるのと同じくらい、インパクトが大きく、やりがいのあるキャリアを積みたい。

そう考えた僕は、できる限り色々な領域の人の話を聞き、自ら行動にも移しました。長期インターンに参加したり、大学の勉強を死ぬほどしたり、普段は聞かない話を積極的に聞いたり...

そこで、限られた知識・経験をもとに自分が出した答え、それが起業家・投資家・政治家、です。

上のアドバイスと矛盾しているかもしれませんね。一つのことに集中しようとアドバイスをいただいたのに、三つに増えてる!笑

 

なぜそうなったのか。

ベンチャーでの長期インターンを通じて起業家になりたいという気持ちはより一層強くなったし、今度はVCでのインターンでは投資家的視点からベンチャーを支える仕事も面白いなと。

大学の勉強も最初はヒーヒー言ってやっていたが、マクロ経済以外と面白い!笑 

いろいろと日本の政治のあり方には思うことあるし、自分で変えたい。

 

このように、刹那的に目の前のことをこなしていき面白いと思えることを追及していった。その結果、見えてきた。自分が本心から知的好奇心を感じるものが。

 

ここで当時のアドバイスが効いている。

つまり、かつてはサッカー選手を目指しながら、その後の人生を見据えて中途半端に他のことにも注力していたことに問題があった。それでは、どちらも努力が分散されてしまい、結果は出ない。

一方で、変に将来を打算的に考えずに、自分の好奇心が向くまま素直にいろいろなことを追い求めて学んでいく。その先に「追及」があるのではないか。

自分なりの勝手な解釈がたくさん入っていますが、そんな風に今では思っています。

 

ということで、ブログでは普段僕が知的好奇心を感じていること、ベンチャー界隈のこと、政治のことを中心に書いていきたいと思います。

末長く宜しくお願いします!